日本人が大好きな『歴史城郭・神社仏閣』巡り

熊本城

熊本地震により熊本城が大きな被害を受けたばかりか、台風などでも石垣の崩壊などの被害を受けたお城もあるようです。謹んでお見舞い申し上げます。お城にはそれぞれの魅力がありますが、訪れることが出来るお城は限られてきます。その一部でもご報告できれば幸いです。

 

また、お正月には神社仏閣にお参りし、初日の出を見るという人も多いと思います。さらに、松の内に初恵比寿に出かける人もいます。

各地の七福神

1年に何度も神社仏閣にお参りしますが、七福神も日本各地にあり、特にお正月には神仏を巡る小旅行を楽しむのも一興です。また、最近の「七福神」に関わる神社仏閣お正月以外も受付けるところが多いようで、一年中訪れることができるようです。
 順次ご紹介致します。

神社仏閣

天満宮の撫で牛

神社は、地域の氏神様がたいていの地域にあります。その小さな地域や町内になくても、もう少し大きな範囲には必ずあるといっても過言ではないと思います。

 

また、仏閣は江戸時代には一種の戸籍代わりに「宗門人別改帳(宗門人別帳・宗門改帳)」(しゅうもんにんべつあらためちょう)という一種の戸籍のようなものを取り扱いました。宗門人別改帳には民の『家族構成・生年月日・職業・血縁関係等が記載され、檀家となっている寺』も書かれます。丁稚奉公等で生まれた土地を離れる際には、寺請証文(てらうけしょうもん)を発行してもらい、転出先で新しい寺に手続をすることで出生・身分が証明されるという制度で、わたしたちの日常生活に深くつながっていました。

 

因みに、その手続を怠ると「非人」として扱われました。「非人」は身分制度の最下層に位置づけられ、居住の制限を受けるほか、様々な不利益を被ることになりました。

 

江戸幕府は、島原の乱の以降に鎖国によって海外交流の制限を強化し、キリスト教も禁止してこのような寺請制度(てらうけせいど)を設けて、庶民を管理することにしたわけです。各領主は、村ごとに作成・提出させた公的な目的の帳簿でした。

 

但し、当初の主な目的はキリシタン排除の機能・意味合いが強かったもようです。次第にキリシタンの取締りを目的としたものから、時代とともに戸籍や租税台帳としての意味合いが大きくなっていったわけです。

『神仏習合』とは?

世界大百科には、以下のように述べられています。

日本の伝統的な神祇信仰と大陸伝来の仏教が接触混淆した結果、生み出された宗教現象。最も古くは宇佐八幡宮が朝鮮の土俗的な仏教の影響を受け、巫僧集団を形成し、6世紀終りころすでに神宮寺をつくった。8世紀になって気比神宮若狭比古神社多度神社などに神宮寺ができたが、東大寺大仏造立にあたり、伊勢神宮に祈願がこめられ、仏法帰依の神託を得、八幡神も大仏造立援助のため上京して東大寺鎮守となった。こうした朝廷の積極的な習合政策と地方民間修行僧の布教活動によって神前読経・神宮寺建立は全国的に広がった

ちなみに『神宮寺』とは、上記の神仏習合思想に基づいて従来からあった神道の神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂を指します。

 

その寺院を、別当寺、神護寺、神願寺、神供寺、神宮院、宮寺とも称しています。 別当寺は、神社の管理権を掌握する場合の機能をも意味する呼称だと考えられます。また、京都には神護寺と称する有名な寺院まであります。

神社合祀

いくつかの神社をまとめて一つにすることを「合祀」といいますが、明治政府後期から始まりました。やがて、南方熊楠を筆頭に神社合祀反対運動が盛んとなり、大正に入ってからは、次第に強制的な神社合祀がなされることはなくなり、約10年後の1920年(大正9年)に貴族院で「神社合祀無益」と決議されたことで、神社合祀は終息しています。

 

この間に、数社をひとつにして、廃社された神社も少なくありません。また、地域、地方によって取り組みに違いがあったようです。祭神がいくつもある神社は、歴史をたどると合祀されているかもしれませんね。

寺社仏閣・城郭の歴史を振り返りながら参拝

寺社仏閣・城郭おのおのの歴史も生い立ちも違いますが、それに付随する経緯や関わる人物など全てが面白いと思いませんか。全てに幅広くアプローチ出来れば良いでしょうが、現実には難しいものです。興味のあるテーマからひとつづつ間口を広げるお役に立てれば幸いです。

 

また、参拝に当たり、わたしたちは極力公共交通機関と歩くことを基本に、時には自転車を組み込んで出かけています。あなたは誰とどのように寺社仏閣や城郭を巡りますか。

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